一説によれば、1921年(大正10年)米国ニューヨーク州ロチェスター市のあるレストランの主人が、自家用にピューレ状の缶詰食品を作り販売しました。これを商業ベースに乗せたのがクラップ社という会社で、ベビーフードとしてのスタートでありましたが、ごく限られた地域での販売であったため、全米での市民権を得るまでには至りませんでした。
それから7年後の1928年(昭和3年)、ベビーフードの父と言われるダン・ガ-バー(ミシガン州フリーモント市)が自分の経営する食品会社フリーモント缶詰会社(後のガーバー社)で本格的にベビーフード生産販売を手がけることになりました。
ダン・ガーバー氏は自宅で妻が一人娘のために一生懸命グリーンピースの裏ごしを作っている姿を見て、これを工業化できないか、また乳幼児の栄養に貢献できないかと考えました。幸い自分が食品工場の仕事に携わっていることも有利と判断し、小児科医の意見を得てベビーフードの生産販売に踏み切ったのでした。
わずか3年後の1931年(昭和6年)にはベビーフードを全米に拡大し、米国において乳幼児の発育に欠かせない必需品としての地位を築いたのでありました。
1937年(昭和12年)、和光堂(現アサヒグループ食品)が米の粉砕品である「グリスメール」を、それから5年後の1942年(昭和17年)に統制品である「育児食」の2品目を発売しました。これがわが国のベビーフードの草分けであります。
ただ、両者ともその容器が缶入りで容量も500gと極めて大きく、今でいうベビーフードとは大分様相を異にしていました。また、製品内容形態が不明でありますが、粉末またはそれに近い状態で、使用時には「おもゆ」のような形であったと推測されます。
1950年(昭和25年)武田薬品工業が缶容器でビタミン強化混合食を3品目発売しました。内容は肉野菜、果実と初めて原材料が多様化したものが登場しました。
続いて1956年(昭和31年)森永乳業が「ライスメール」という紙容器包装の粉末製品を発売しました。
このころは、ベビーフードの黎明期。当時、わが国ではベビーフードのなじみがまだ浅く、メーカー各社は小児科医に意見を聞きつつ、ベビーフードを市場浸透させるための様々な試行錯誤を行っていました。
1970年代
「乾燥ベビーフード」が拡大。これまでの穀類中心から果汁、野菜、肉類に至る品目にまで拡大しました。
1968年(昭和43年)明治乳業(現明治)が「粉末果汁」、和光堂が「米がゆ」を発売し、「乾燥ベビーフード」の品目が一気に増加しました。
また、「瓶詰ベビーフード」が品目を増やし、「缶詰ベビーフード」は徐々に減少していきました。
当時のベビーフードへの母親の意識は? 母親がベビーフードを使用しない理由(1977年(昭和52年)調査)
このようなことから当時の母親は、ベビーフードを一度は使ってはみるものの、繰り返し使うことは少ないようでした。
1980年代 母親の意識の変化を背景に、技術の進歩によって今までにない商品が次々と発売されました。また、労働環境や社会環境の変化などにより、母親の意識や行動に以下のような変化がみられました。
このようなことから、かつてのような「手作り派」、「ベビーフード派」という分類ではくくれない消費者像を意識しながら、問題はむしろ商品開発にあると思われました。
1984年(昭和59年)和光堂がフリーズドライ製法によるベビーフードを発売しました。フリーズドライ製法は品質の変化が少なくシラスやブロッコリーなどの緑色野菜の素材が利用できるようになり、使用時に湯を加えると素材本来の味、色、香りなどが味わえるとともに、幅広い食材をベビーフードに取り入れることにより品揃えも豊富になりました。
1987年(昭和62年)明治乳業がカップ型のレトルトベビーフードを発売しました。カップ型容器を使用することにより、適度な大きさと固さの具が入り、開封が容易ですぐ食べられることが魅力でした。
また、この頃から製品に関わるコンセプトやネーミングなどソフトな面にも工夫がされるようになりました。
1993年(平成5年)、時は和食回帰の時期。ピジョンがレトルトカップ容器「赤ちゃんの和食」を発売した。一方、各社から「ビーフシチュー」「ミネストローネ」「ツナドリア」といった品目が発売され、マスコミには「赤ちゃんにもグルメの味」などと報じられました。
1980年代に発売されたレトルトカップやフリーズドライがベビーフードに何らかの抵抗感を感じていた母親の意識に大きく影響を及ぼしたこと、販売量の多い瓶詰製品が消費者にとって求めやすい価格になっていったことなどを背景に、ベビーフード市場が成長しました。
厚生省(現厚生労働省)が1985年(昭和60年)に実施した乳児栄養調査では、ベビーフードの使用状況について「ほとんど使用しなかった」が51.8%を占めていましたが、10年後の1995年(平成7年)の乳児栄養調査では、「よく使用した」「時々使用した」が66.0%を占め、この10年間でベビーフードに対するかなりの意識変化が見て取れます。
女性の社会進出、核家族化、情報化社会の推進等の環境変化により、母親の価値観が変化し、それに伴い簡便性、栄養価、衛生面等で大きく向上したベビーフードは母親から高い評価を得るようになりました。
これらの要因が、90年代の高い市場成長を維持してきたと言えます。
女性の社会進出、核家族化、情報化社会の推進等の環境変化による母親の価値観が変化したことによって、出生数が1973年(昭和48年)の209万人をピークに減少の一途をたどる一方で、ベビーフード市場が伸びているといった状況を生みだしました。
その内容をタイプ別に見てみましょう。
瓶詰
2008年には、1,778トン生産しています。
近年、レトルトに変わられており、生産量はダウン傾向となっておりますが、 中身が見える安心感や値頃感のある価格、使いやすい形態が母親に受け入れられています。
レトルト(パウチ・成型容器)
1980年代後半に登場。
その生産量は1998 年には4,929トンであったのが、2008年には7,161トンと増加しており、約1.4倍となっています。また、レトルトはベビーフード(飲料を除く)の約76%を占めます。
簡便性に優れ、少量化が実現され、メニュー製品として近年の時代のニーズを満たし、特に飽食の時代を経験した購入者(母親)に大きな支持を得たということは、まさに時代の変化(食の変化)をそのまま映し出しています。
乾燥品
乾燥品は出始めた当初は粉末製品のみでしたが、1980年代半ばにフリーズドライ製品が登場しました。
2008年には、465トン生産しています。
乾燥品の持つ手軽さ、携帯性、素材としての種類の多さなど 特長を持った必要性の高い商品であることがうかがえます。